某掲示板で盛り上がっていて面白かったので、個人的にまとめ。

基本的には↓
大阪教育大学文芸部−小説作法

 ・段落最初の一文字下げ
 最後に病室で母と会話を交わしたのは由宇子だ。
 それは八月十三日のことで、広い一人部屋は奇妙に暑かった。母は暑いと訴え、由宇子も落ち着かずに空調を下げたりナースステーションに頼みに行ったりしたが、室内はじっとりと暑いままだった。

 ・ただし、括弧「」の前は例外。
「先生、呼んできて」
 午後も半ば、母がそう言い、由宇子は慌てて人を呼んだ。看護士たちがばたばたと母のベッドを取り囲むのを、母が自分の元を離れていくのをぼんやり突っ立って見ていた。

会話のヴァリエーションとして。
 午後も半ば、母が
「先生、呼んできて」
 と言った。由宇子は慌てて人を呼び、看護士たちがばたばたと母のベッドを取り囲むのを、母が自分の元を離れていくのをぼんやり突っ立って見ていた。

 ・例外の例外。会話を地の文に続ける場合。
 午後も半ば、母が「先生、呼んできて」と言った。由宇子は慌てて人を呼び、看護士たちがばたばたと母のベッドを取り囲むのを、母が自分の元を離れていくのをぼんやり突っ立って見ていた。

 食事をしている間もその後も隣人たちが珍しがって八木を見に来た。そのたびにサラは自慢げに八木を彼らに紹介した。「森の池のところに突っ立ってたのさ。ヤーグっていうんだ」


次に、人によって使い方の違うもの。
 ・括弧「」内の改行
「そうじゃないかい? だってこんな生っ白い子見たことないよ。地下かどこかに住んでたに違いない」
「祖母から話を聞いたことがあるよ。祖母が小さい頃にそんなことがあったらしいよ。
 何にしても帰ってきたのは良いことだよ。小さい人たちに贈り物をしないと」

 ・括弧「」内の改行時に、文頭に“「”がつく
「そうじゃないかい? だってこんな生っ白い子見たことないよ。地下かどこかに住んでたに違いない」
「祖母から話を聞いたことがあるよ。祖母が小さい頃にそんなことがあったらしいよ。
「何にしても帰ってきたのは良いことだよ。小さい人たちに贈り物をしないと」

他にもあるかな。知っていたら教えてください。

上記の例文引用は拙作から。↓
小説、絵本創作サイト:ながいよるに。
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文豪怪談傑作選という名に惹かれて、手に取ったこの一冊。↓
怪談より、「小説とは何か」というエッセイが面白かったです。


文豪怪談傑作選 三島由紀夫集。
怪談ものとして、タイトルにもある「雛の宿」という作品がかなり面白かったです。豊饒の海シリーズのような、幻想性と、主人公の知らないところから続いている因縁による破滅というテーマがとても美しい。血縁という関係性の暗さとか。
その他幾つか、ホラーというより、幻想小説として素敵です。日本の近現代のホラー小説は、どちらかと言うと、美しさを求めるところがあるせいかもしれません。
一番最初に載っている「朝顔」という話はあまり好きではないかもw 何だか笑ってしまう。
短編向きの小説家と、長編向きの小説家がいると思うけど、この「朝顔」を読んだとき、「三島由紀夫はやっぱり長編向きなのかなあ」と思ったりしました。「雛の宿」を読んで思いなおしたけど。
シェイクスピアのソネット30、
When to the sessions of sweet silent thought〜
で始まるのがありますが、これを読んだとき、なんかオチがついているようで笑ってしまいました。大好きな作品ですけど。今と詩に求めるものが違うせいだと思いますが、起承転結がはっきりしすぎているというか、結びに何か論理的な結論を求める傾向がある気がしました。三島由紀夫の「朝顔」はそんな作品だと思いました。

この本の最後に納められている「小説とは何か」で、三島由紀夫が「読者は小説に道徳性を求める」というのが、まさに上であげた「オチのある短編」じゃないかと思ったり。
「朝顔」でのオチは道徳的ではないけれど。

「英霊の聲」はタイトル通りの作品。戦争を題材にして思想的。三島由紀夫の願望かなあと思ったりしました。私は美化しすぎていると思うけど。

「小説とは何か」。
とても辛口に、小説を好きな人間と小説を書く人間について分析してます。これがとても面白い!
あー、分かる!と叫びたくなる。というのは、まさに私自身がその分析に当てはまる人間だと思ったから。そしてそうなりたくないと思ってる。
とても面白い本でした。物を書くことに興味あるなら、最後の「小説とは何か」をちら見するだけでも価値ありです。
Tag : 小説
 
三点リーダ「…」のお話。

三点リーダは先日引用したサイト(コラム/基本ルール - BNSK)にもあるように、基本的には二回続けて打つようです。
もしくは偶数回。

こういう慣習が出来たのはリーダー@wikipediaによると、
1946年(昭和21年)に文部省教科書局調査課国語調査室(当時)が作成した『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』のテンテンの用例に点6つが打たれている事から広まった可能性がある。

とのこと。
結構新しい話なのかな。
まあwikipedia出典ですけど。

オンラインの物書きやってると、スタイルシートで調節できたり、フォントの表示が環境で違ったりするので、結構文法に関していい加減になってきます。
投稿するにはそれじゃだめだよねってことで、こういう基本ルールを見直したりしています。
で、三点リーダは二つ打てと書いてあるので納得してたんですが、今月始まった日経新聞の高樹のぶ子さんの連載小説!
三点リーダが一つしかない!(笑)
新聞の連載欄が縦に短いから一つしか打ってないのでしょうか。
新聞の連載欄は高樹さんに限らず一つだけしか打たないとか?
それとも高樹さんが普段から一つしか打たない主義?

今度図書館で調べて来ようと思います……

2008/10/18追記。
調べてきました。
他の高樹さんの著作では三点リーダは二つ使われてました。
やっぱり新聞の連載欄が縦に短いからですかね。

例外あったら知らせてください。
Tag : 小説
 
コラム/人称について - BNSK
これ、面白いなーと思って読んだ覚えがある。
あまり理解してないけど。

ここで、「三人称多元描写」=神の描写とあるけれど、実は今ちょっと悩んでいたり。
できれば完全に客観的な文章を書きたいんだけど、文章で「それは〜だからだった」という説明を書いた場合、それって書き手/神の主観が入ってくるよね……?(笑)

AはBである。
それはCが原因である。

と書いた場合、そこに本当に因果関係があるかどうかは読者には分からない。
ただそう因果関係があると書いてるから、そうなんだろうなと思うしかない。

情景描写ならまだしも、これが心理描写も関わってくると、少しややこしくなる気がした。
三人称というより、一人称=作家が語る一人称っぽいなと。

なんか変なこと書いてる気がするけど、今の時点で疑問に思ったことのまとめ。


あと↑のBNSKのwikipediaでは三点リーダの話が出てますが、ちょっと例外を見つけたので別の記事にまとめようと思います。
 
ちょっとハイテンションです!
なんか、うへへへという気分です。
小説を書き始めてスイッチが入ったのかなー
やたらイラストを描いてるのもそのせいです。小説を書いてて、書くのに飽きるとイラストを描いてしまいます。二倍に肩が凝るので作業効率が良くない。

プロットをちゃんと練ると小説って書きやすいんですかね。
想像以上に楽しくてびっくりしてます。
去年の苦しみは何だったんだ……
なんか、キャラクターに最初から最後まで愛着が持てませんでした。
初めてきちんとしたキャラクターを作るということをしたせいかも。

それまで二次創作中心で、一次創作と言えば、私(あるいは私の分身)と女の子(他者としての女の子)くらいしか登場しませんでしたが、初めて三人称でまともに男の子の主人公を作ろうとしました。
今振り返ると性格が決まってませんでしたw
外見くらいしか(ありがち)。
今回はその反省を踏まえ……踏まえたつもり。

主人公ってどうしても善に傾きやすいというか、ストーリーの整合性を保とうとして、「普通こういう行動取るよね」で話を書くと、ものすごく偽善的なキャラクターになります。

こう書いてると、今書いてるのも動機付けが弱いところが何箇所もある気がしてきた。
たとえば「恋人のために誰かを殺す」とか。
これってストーリーとしては普通だけど、ちゃんと動機としてリアリティを持たせないと、ものすごく陳腐になります。
これが積み重なると、素っ気無いキャラクターになってしまい、感情移入しづらく、愛着がわかない。
難しー
 
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小説家志望。オカルト、ホラー大好き。
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